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INSIDE ATOMIC
この灯は消せない
2018年1月20日、私たちアトミックジャパンチームにとって、そして日本のスキー界にとって、大切な灯が繋がる歴史的な1日となった。
今回私たちアトミックスタッフ一同は、2018/2019シーズンに向けたローンチイベント、本社ミーティングに参加するため欧州に渡ったが、そこにはもう一つの大切なミッションを設けていた。
それは、オーストリアKitzbühel(キッツビューエル)の歴史あるクラシックレース、W-CUPハーネンカム大会、通称”STREIF(シュトライフ)”に参加予定の須貝龍選手(チームクレブ)を見届けること。
トップ選手たちが口を揃えて「非情なコース」と言うこの世界一の難コースは、私たちアトミック社員である杵渕隆と千葉信哉さん(サロモンレーシングチーフコーチ)が1987年に完走して以来、誰もコンプリートできていない。
この31年の間に、富井剛志さん(ICI)、滝下靖之さん(現ジャパンチームコーチ)もこのレース、このコースに挑戦したが、ゴールラインを切ることは無かった。
Kitzbühelのハーネンカム駅に着くと、一瞬でその異様な雰囲気に圧倒された。
数分置きに到着する満員の臨時列車。自国の国旗を振りながらハイテンションで降りてくる大観衆。あちらこちらで鳴り響くチアホーンの甲高い音。360度どこを見渡しても他のレースとの違いを感じられるほど街が熱狂している。
後に公式発表のあった観衆は8万人。ここに集まる人たちは、単に「レース」を楽しみに来ているのではない。スキーという大切な「文化」を楽しみに来ているのだ。
集う理由の違いからか、日本開催のW-CUPとは観衆層が明らかに違う。私はスキーレーサーだから、私は熱狂的なスキーファンだから、といった理由で集まる人はごく一部でしかなく、子どもたちも、おじいちゃんもおばあちゃんも、今時の若い世代も、車椅子の方も、全ての国民がこのレースの開催を祝ってここに集い、つるつるに凍った雪の斜面を全力で駆け上がっていく。
人の波をかき分け会場に着いたのはスタート1時間前。巨大なモニターに映し出されるレジェンド達のインタビュー。空を飛び交う5台の中継ヘリ。間髪入れずに続く航空ショーとパラグライダーショーが私たちの目と心を奪う。スタートまでの1時間はあっという間だった。
杵渕は31年前の一つ一つを丁寧に思い出しながらコースを見つめる。
翌日ゴンドラでスタート地点まで上ってみたが、ゴンドラの中で杵渕はこう語ってくれた。
「当時は完全に狂っていた」「このスタート地点に向かうゴンドラの中では、一言も言葉を発することができなかったな」と。
スタート台に立ってみて杵渕の言葉の意味を身体で感じることができた。この歴史あるレースに参加する選手達に改めて褒め言葉として伝えたい。「完全に狂っている」と。
スタート直後の絶壁と、眼下に広がる青光りした氷の大斜面。ストックをこいでスタートバーを切るだけでも勇気のいる光景だった。
レース1日前、須貝選手に関する不安な情報が届いた。体調不良によりレースをキャンセルするのではと報じられたのだ。
これは直接話した現地のカメラマン情報だけに、信憑性の高い情報であった。
私たちは試合前のナーバスな須貝選手に直接コンタクトを取ることなく、ゴールで待つことを選択した。
ファンファーレが鳴り響き、巨大モニターにカウントダウンが表示される。会場の熱狂はピークに達し、いよいよレースがスタート!
いきなりのクラッシュで会場がどよめく。改めて難コースであることを思い知らされた。
だからこそ、このレースに参加した選手は全員がヒーローだ。中間計測掲示のたびに歓声が沸き、ゴールした選手には国籍関係なく大きな拍手と大歓声が届けられる。
須貝選手のBIBは58番。手を合せ須貝選手の出場を祈りながら見ている中、50番BIBの選手がスタートしたあたりで、「リョー、スガーイ」のアナウンスが入った。
杵渕の表情が少し和らいだ。
現地の観客から「今日、日本人が出場するんだって?」と声をかけられた場面があった。杵渕をはじめ、過去に日本人レーサーたちが作ってきた歴史を引き継ぐことは本当に大きな意味を持っていると感じることができたし、ヨーロッパの人たちもその歴史をみんなが知ってくれていることに感激した。ここに私たちアトミックジャパンチームが立ち会うことの大切な意味を改めて感じた瞬間だった。
いよいよ須貝選手のスタート。
モニターに映し出された須貝選手は、いつもより何倍も大きく見えた。
大きな第一エアーを飛び、長い廊下に入る前の壁に衝突しそうになりながらもしっかり耐えた。スタートしてからまばたきすることなく手を握り締めてモニターの映像を凝視すること2分、視線をコースに移すとRED BULLの大きなゲートを果敢に飛び出してくる須貝選手の姿が飛び込んできた。
ゴール前の名物となっている片斜面を落とされながらも耐えぬいている瞬間、巨大モニターに写し出された「さあ、行こう」の日本語の文字。感動という一言では伝えきれない感情がわき、全身に鳥肌を立てながら8万人の観衆と一体になってゴールラインを切る須貝選手を出迎えることができた。
私たちに気付いた須貝選手は、ゴール直後とは少し違った柔らかい表情でこちらに駆け寄ってくれた。ネット越しに杵渕としっかり握手を交わし、歴史を引き継いだ瞬間をみんなで祝った。
2人の間にはアトミックというブランドでの繋がりだけではなく、同郷新潟県小千谷SC出身という強い繋がりがある。今日この歴史的な1日を迎えたことは、決して偶然ではなく、31年という時間をかけて必然的に起こり得た結果なのかもしれない。
杵渕はこう話す。
「高速系チームの無い現状でこの偉大な成果をあげている龍は、おれらの時代の選手なんかより何倍もたくましい」と。
そして須貝選手はこう話してくれた。
「体調が悪く呼吸すら難しい場面もあったが、今回は来年に向けてのためにも出場しておきたかった」。
そう、すでに新しい歴史は始まっている。
会場ゲートの外では、所狭しと、多くのファンが選手達を待ちわびていた。
目をキラキラと輝かせた子どもたちが須貝選手にサインをせがむ姿がとても印象的だった。会場を出るまで5mおきにサインや写真を頼まれる須貝選手の後姿を見ながら、この灯がこれからも消えないように、アトミックは全てのスキーヤーを応援していかなければならない。そう感じた大切な1日となった。
これからは須貝選手がこの灯を大きく輝かせ、次の世代に夢を繋いでいく。
ユース世代のレーサーたちに伝えたい。次にこの灯を繋ぐのは、きみたちかもしれない。