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INSIDE ATOMIC

2019.03.22

全日本技術選「武田竜優勝」までの軌跡

ATOMIC 男子初の全日本スキー技術選手権大会総合優勝を支えた ATOMIC チーム全体の軌跡 を辿る。

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56 年の歴史を誇る全日本スキー技術選手権大会。その歴史は、第 1 回の全日本デモンスト レーター選考会から始まり、第 17 回大会より全日本基礎スキー選手権に名称を変え、第 23 回大会から現在の全日本スキー技術選手権大会へと発展を遂げてきた。
56 年続く歴史の中、国産メーカーオガサカスキーの大会としてスターとしたこの大会で、海外メーカーからこの大会に初めて挑戦をしたのもアトミックスキーだった。初めてアトミックスキーを使用して出場したのが、新潟県所属の山田博幸さん。山田博幸さ んは、1978 年の第 15 回白馬八方大会で惜しくも頂点に届かず 2 位という実績。アトミック スキーしか履いた事が無い山田さんのスピードを追求した滑りは 66 歳になった現在も健在 で、現役スキー指導員として現場で活躍している。

それ以降、1989 年第 26 回大会でレジェンド斉木隆さんが山田さんと同じく惜しくも 2 位。 翌年第 27 回大会では 3 位とその輝かしい功績を称えられつつも、頂点には一歩届かなかっ た。つまり、日本に ATOMIC スキーが入ってきて以来、全日本技術選の場で男子選手が優勝 する事は皆無であった。今回の「武田竜優勝」は、記憶にも記録にも残る歴史的快挙だったと言える。やはり「速い 者は美しい」と言う言葉は存在していた。と同時に、松沢聖佳(現コーチ)の全日本技術選女子 9 連覇という実績の凄みを改めて感じ 取ることができる。

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#1 マテリアル変更 1 年目での快挙

武田竜選手が ATOMIC の門を叩いた頃を振り返る。いつも柔らかい面持ちで人当たりの優しい武田選手が、キリッとした表情で「本気で勝ちたい」と TEST を望んだあの日からこのス トーリーは始まっていた。トップアスリートがスキーをテストするには大変な時間と環境 が求められる中、決して満足いくような TEST 環境を用意できなかった状況でも、ATOMIC マテリアルのメリットを良く理解し、そこに合わせていった武田選手の技量と気持ちに私たちスタッフも脱帽する。

同じくマテリアル変更 1 年目の湯浅直樹選手も劇的な復活劇で全日本選手権優勝と、名実共に、「日本一速いスキーヤー」と「日本一うまいスキーヤー」を抱えるブランドへと成長 させてくれた。技術選全参加者のマテリアル使用率は国産オガサカに続く2 番手まで成長を遂げた。ATOMIC は、今最も履きたいブランドになったのではないだろうか。

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#2 ベテラン選手の支え

武田選手の加入で最も刺激を受けたのはベテラン選手達と言っても過言ではない。長きに 渡りATOMIC を牽引してきた選手達からは、「負けたくない」という気持ちが前面に出ていたことは誰が見ても感じることができた。しかし、武田選手加入というその入り口はあまりにもスムースで、ベテラン選手ならではの考えをきちんと伝え、その考えを素直に吸収していく武田選手をはじめとする若手選手達。そして、躍動感溢れる若手選手達の滑りがベテラン選手に刺激とプレッシャーを与え、チー ムとして成長していく姿が見て取れた。誰もが自信を持って望めた今回の技術選の裏には、やはりベテラン選手の力が大きいと言える。

石水克友新キャプテンが年上選手と若手選手 の接着剤になり、水落亮太、松沢寿両ベテラン選手が締める所を締める。こんなにバランスの良いチームは過去に無かったかもしれない。 結果、入賞に一歩届かなかった、石水克友キャプテン、青木美和選手。スーパーファイナル に一歩届かなかった松沢寿選手。そして、言い訳を絶対にしない性格上、本人の口からは決して発しられることは無かったが、肉離れをおして強行出場した水落亮太選手。自身の選手活動と合わせて北海道の若手育成に尽力してくれている村上祐介選手、斉藤人之選手など、悔しい思いをしたベテラン選手達だが、素直に武田選手の優勝を喜び、その表情の裏には悔 しさを滲ませ、すでに来年に向けたスタートを切っている。 武田選手、若手選手を育成しながらも頂点を目指して挑戦を続けるベテラン選手達。私たち スタッフが一番感謝しているのは、武田竜優勝の陰に隠れてこの歴史的快挙を支えたベテ ラン選手達だ。ありがとう!

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#3 若手選手の成長

決して大きな陽の目は浴びられていないが、着実に成長の兆しを見せた若手選手達。頂点が見えてきた大場優希選手、入賞一歩手前まで来ている須川直樹選手、佐藤柊果選手をはじめ、 17 名もの選手達が決勝へ駒を進めてくれた。そして、決勝という大きな脚光を浴びる場の一歩手前で、たった数点足りないところで悔しい思いをした選手が圧倒的に多いATOMIC チ ーム。どの選手も大きなミスを犯しての結果。来年に繋がる、悔しくも前向きな結果で今年の技術選を終えている。久しぶりの高校生スキーヤーも登場しており、長く技術選の場で活躍する「原石」の集まりが今の ATOMIC DEMO TEAM である。

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#4 有能な首脳陣

ヨーロッパのトップアスリート合宿、スキーテストから始まり、国内での定期的な合宿を率いてくれ、チーム全体を底上げさせてくれた豪華首脳陣も ATOMIC の強みだ。若月新一コー チを中心に、「勝てるポイント」をしっかり選手達に伝え、女王松沢聖佳コーチ、戸谷利志明コーチ、阿部博隆コーチ、豊野太平コーチ、北海道の金田智子コーチと今本真貴コーチ、 能登恒コーチ。そして先にもお伝えしたプレーイングコーチの村上祐介選手などが精力的 に環境を整えてくれた。 武田選手も優勝直後の懇親会で、「あなたの一言で最後を決めた!」と、コーチとハイタッ チし、喜びを分かち合っていた。

表向きは個人、各都道府県での戦いとなっているが、その根底を支えている ATOMIC 首脳陣 がいることを忘れてほしくない。全日本技術選のジャッジや運営に携わることが決定したコーチは、選手、メーカーとの接見すら許されない。多くのコーチが運営に携わり、各県のコーチとして帯同する中でもこういった結果が残せたのは、大会を迎えるまでにきちんと 戦える準備をし、環境を整えてくれたコーチ陣の大きな成果と言える。

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#5 足元を支えた NEW マテリアル

予選初日、大荒れの天気の中突然のコース変更が行われた。使用バーンは、リザーブとしても予定されていなかったバーンを急遽使用。スタート前にコース状況を確認したとき、底なし沼のようにザブザブのバーンで、本当にここでできるのだろうかと誰もが不安になったようなコンディションであった。案の定、コースは波を打ち、多くの選手が叩かれ、弾かれ、 満足のいくようなパフォーマンスができなかったことは言うまでも無い。

そんな中でも、「ATOMIC は凄いね」と他ブランドのスタッフからも声をかけられることが多かった。ハー ドバーン、ソフトバーン問わず定評の高い SERVOTEC スキーだったが、荒れたバーンコンデ ィションで改めてその真価を目の当たりにすることができた。特に、新しい硬度変化の少な い新素材サイドウォール搭載の NEW REDSTER は、選手達のパフォーマンスを下げることなく、誰よりもスムースな動きを見せてくれた。少なからず選手達の支えになれたことを実感した。

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今回の武田竜選手の優勝は、本人の努力と強い気持ち、そしてチームで勝ち取った勝利とみんなが自負している。武田竜という一人の男の刺激、ベテラン選手のサポートと切磋琢磨、 若手選手のプレッシャー、「勝つ」ために環境を整えたコーチ陣、良い物を開発できているメーカー、そして何より、ATOMIC スキーを使用して応援してくださっている多くのスキー ヤーのお陰で、選手達へのサポートを徹底してできていることに心から感謝している。 ATOMIC マテリアルを使用しているみなさん、この劇的な勝利には、みなさんの力が少なからず貢献していることに自信を持ち、これからも ATOMIC FAMILY の一員として、一緒に成長していっていただきたい!

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